bono1978 BLOG

心が動いた時に書くブログ

『竜とそばかすの姫』の感想

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ファンの期待しないものを見せること

 細田守監督の新作が公開されるたびに、「最近の細田作品はファンの期待しているものと違う!」という感想をネットで見かける。その期待しているものが『デジモン』なのか「橋本カツヨ」なのか、『時かけ』なのか『サマーウォーズ』なのか、新しい何かなのか、その辺は人それぞれだと思うけど。

 ただ、そういう「期待しないものを見せられた!」とネットで言われがちな監督だな~という意識があったので、「『竜とそばかすの姫』では何を見せられるんだろう?」という気持ちで観に行った。そしたら、まさにその「ファンの期待していないものをクリエイターが見せる行為」が主人公の行動として描かれていたので、少し興味深く思った。

 映画の終盤、ネットの世界で人気シンガー「ベル」となった主人公「鈴」が、自分の素顔をさらそうとする場面がある。他人を救うために、ファンの期待とは違うものを見せようとする。すると、親友のヒロちゃんが止める。「鈴が今まで積み上げてきたものが全部ゼロになっちゃうんだよ!」って。
 これって要するに「せっかく人気アニメ監督になれたのに、観る人の期待と違う映画を見せたらファンを失っちゃうよ!」みたいな、そういう話なのでは……。

 でも、鈴は決意して、ファンの期待と違う素顔を見せちゃうわけです。そしたら、ベルのファンはザワザワしちゃうのね。「ベルのままでいてほしかった……」って。これって細田アニメの新作を観た人が「我々の期待する細田映画であってほしかった……」と落胆してる構図と似てるような……。

周りの期待に応えない人たちを肯定的に描いた映画

 で、最後まで観て思ったのは、周りの期待に応えない人とか、「周りが勝手にイメージした人物像」と「本人のやりたいこと」とのあいだにズレがある人がたくさん描かれていたなってこと。
 例えば、美しくない素顔を持つベル、娘の意見を聞かずに川に飛び込む母、変人扱いされながらインターハイまで行ったカミシン、病弱でも諦めなかった野球選手、意外な人に恋をするルカちゃん、親に言えない秘密を持つヒロちゃん。そして、親の期待と違うことをして虐待される子。

 そう考えてみると、「期待していないものを見せられた」と言われがちな印象のある細田監督が、「周りの期待に応えない人」「周りのイメージと違う素顔を持つ人」の行動を映画の中で肯定的に描いているのが興味深いなと思った。また、それと同時に「期待通りの姿を見せろ!」と他人に押し付けることの醜悪さも、「期待に応えない子供」を虐待する親を見せることで描いているのかなと思った。

傷を見せるヒーロー

 映画の中で人気野球選手が身体の手術痕を見せる場面があった。話の流れとしては、疑惑を晴らすために傷を見せる流れだったけど。「病弱だったぼくも頑張って夢をかなえることができたから、いま病気で苦しんでいる子どもたちも夢を諦めないでね」みたいなシーンだった。それを観ていて、「細田さんがファンの期待を裏切ってまで映画でやりたいことって、そういうことなのかな?」と思った。

 格好いい演出家としてヒーローになった人が、裸になって、本当は隠しておきたい傷とかフェチを見せる。それによって「こういう傷を持つぼくも夢を叶えることができたから、同じ傷を持つきみたちも夢をあきらめないでね」みたいな、そういうことなのか!? 「物語を語るのがぎこちない」という傷も、同じ傷を持つ人を励ますために敢えて消さずに見せているのだろうか。いや、それは良い方に考えすぎか……!?

 そんなことを考えながら映画館を後にした。

 

『Overwatch』発売5周年

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本日5月24日で『Overwatch』発売5周年だそうで。僕も未だに毎日のように(1日1試合程度)PC版をプレイしています。ずいぶん長期間遊んだものだ……。

このゲームは、FPSの6vs6のチームバトル物です。僕はFPSが苦手なのですが、「普段FPSをやらない人にも是非プレイしてほしい」と『無慈悲な8bit』(『週刊ファミ通』2016年7月7日号)に書いてあったので、「食わず嫌いせずにやってみるかなー」と手を出してみたのが約5年前。確かに、いろんな特性を持った幅広いキャラクターの中から自分の役割を選べるので、僕みたいに照準合わせが苦手な人でも、それなりに戦いに貢献できるのが楽しいですね。

5年の間にキャラクターが増えたり、ゲームバランスが調整されたり、いろいろなことがあったなぁ……。『Overwatch2』も楽しみです。

無慈悲な8bit(2) (コミッククリア編集部)

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  • 作者:山本さほ
  • 発売日: 2018/10/15
  • メディア: Kindle版
 
ジ・アート・オブ・オーバーウォッチ (G-NOVELS)

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Steam版『フィンチ家の奇妙な屋敷でおきたこと』感想

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(開発元: Giant Sparrow(アメリカ)/2017年)
(★★★★★/日本語版、コントローラー対応、クリアまで数時間)

【あらすじ】

 500年に渡る富と不幸の伝説に彩られたフィンチ家。その末裔・エディスは、ワシントン州オーカス島に残された実家の空き家を6年ぶりに再訪し、家族の思い出を振り返る。

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【感想】

 一族の思い出の品々で埋め尽くされた屋敷を舞台に、彼らの人生の末路を追体験していくウォーキング・シミュレーター。数年ぶりに再プレイした。

 フィンチ家の人々を襲う死の瞬間には共通点がある。それは、「幸福をもたらしたもの」が同時に「死因」にもなっていることだ。例えば「お風呂」がその人に幸福をもたらせば、それが「溺死」の原因にもなるといった具合に。
 だから「死」を描いたゲームではあるけれど、恐さはあまり感じなくて、むしろ幸せな気持ちがどんどん膨らんでいく興奮が味わえる。でも、その興奮は破滅へのカウントダウンでもある。その2つが渾然一体となった、他では得難い感覚を味わえるのがこのゲームの最大の魅力だ。
 中でも僕のお気に入りは、お風呂でおもちゃと遊ぶ妄想にふける赤ん坊のグレゴリー。それと、缶詰工場の職場で単純作業を続けるうちに、RPGに出てくるような王国の白昼夢に取り憑かれていく青年ルイス。この2人のエピソードが特に印象的。
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 さて、ゲームの中盤までは、そうした奇妙な物語のような「死」が描かれるが、長老格のイーディに逆らって、エディスの母・ドーンが家を出る辺りから「死」の描かれ方に変化が起きる。今回のプレイではそこが気になった。

 イーディは、伝説に彩られたフィンチ家の「伝説の続き」を作り続けることを好んだ人だと思う。「屋敷の地下に住むモグラ男」のゴシップ記事を部屋に飾ったり、夫はドラゴンに殺されたと語ったりした。屋敷の奇妙な内装も、彼女が作り上げた部分が多い。「語り手」としてのイーディは、事実よりも伝説を好んだ人物と言えそうだ。であれば、家を出る直前にエディスが受け取った本に書かれた物語も、海底から現れた旧宅で幻を見るくだりなど、どこまで真に受けて良いか疑問が残る。

 また、本を受け取る直前、イーディとドーンが口論する場面では、日本語字幕では「私の子供たちはそれで死んだのよ」と出るが、英語のセリフを聞き取ると「My children are dead about your story!」と言っている。ドーンは、イーディの物語によって子どもたちが死んだと解釈している。

 僕が思うに、おそらくこのゲーム中の世界には、一族を襲う「呪い」のような現象は無い。ただ、偶然起きた不幸を「伝説の一部」だと解釈したがる人が居て、個人の人生が「伝説を構成するパーツ」にされてしまうことが一族の不幸のように感じた。

 実際、家を出たドーンの死は静かなもので、劇的ではなかった。それはイーディの元を離れたことによって、語り手がエディスに切り替わったからではないか。そして、エディスはエディス自身の言葉で子供に人生を伝えようとした。また、語り手を失ったイーディの末路はあいまいである。
 この「視点(語り手)が変わることで、劇的な死が描かれなくなっていく」転調が今回のプレイでは気になった。つまり、この作品では「奇妙な物語のような死」の描写が印象的だが、むしろ、それとのコントラストによって終盤に「平凡な死」が描かれることこそが重要なのではないか。

 故人の人生を把握するには、残された語り手の言葉が手がかりになる。だが、注意しないと、語り手のドラマティックな演出によって、故人の人生が奪われてしまう。受け取る側も好奇心からドラマティックさを好んでしまう部分がある。しかし、果たしてそれは良いことなのか? 再プレイの今回は、自分の人生の物語を他人の物語に取り込まれないように守り抜くかのような終盤の展開が印象に残った。

P.S.

本作に影響を与えた『百年の孤独』に興味が湧き、読みはじめた。

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)
 

 

『花束みたいな恋をした』感想

(2021年)監督:土井裕泰 脚本:坂元裕二 主演:菅田将暉・有村架純

 周りの評判が良かったので「どんな感じの映画かな?」と興味が湧いて観に行った。サブカルチャーを愛好する男女が、押井守監督の話題で意気投合して、付き合い始める恋愛映画。……ではあるのだけど、僕的には、なんだか恐い部分が印象に残る映画だった。

 主人公のひとり、菅田将暉氏演じる男子大学生は、似た趣味を持つ恋人を得る。しかし、大学を卒業して社会に出るにあたって、その持ち味がお金を稼ぐ役には立たない現実に直面する。そして、自身のかたちを「社会人」に矯正していく過程で、内面をも変質させていき、眼から光は消え、文化への興味を失っていく。その変化は、もしかしたら僕の身にも起こり得たことなのではないかと思って、とても恐ろしく感じた。

 他にも恐い場面はあった。最初、彼が趣味を活かしたイラスト描きの仕事を始めるのだけど、クライアントと単価交渉をした時に、「だったら、いらすとやを使うので結構です」と切り捨てられる場面、これも本当にありそうでゾッとした。あとは、物流関係の会社に就職して仕事が忙しくなると、『パズドラ』しか楽しめない身体になっていく場面も恐ろしい。趣味と仕事のバランスを上手くとれる仕事に就いていれば、また違う人生があったのではなかろうか、と思わずにはいらなれなかった。

(2021年5月1日@TOHOシネマズ浜松)

『みほとけのキセキ ー遠州・三河の寺宝展』感想

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重要文化財の仏像10体を含む寺宝展。遠州~三河地方にまたがる地域に焦点を当てた初の展示とのこと。招待券をもらったので観に行ってみた。

まず、今回の展示物を所蔵しているお寺の配置図とその解説が面白かった。東海道沿いに建っていたり、あるいは三河国府から浜名湖北岸の山深いエリア(修行に適している)を通る交通の流れに沿って建っている。当時の交通事情を感じ取ることができた。

また、仏像の展示数は多くはなかったが、平安~鎌倉~南北朝と時代を経るにつれて、仏像の造形にあいまいさが無くなり、細工も緻密になっていくのを実感できた。さすが数百年進んでいるだけある。

展示物の本格的な解説の脇に、興味をひくちょっとした豆知識が書かれており、それも面白かった。千手観音は左右合わせて40本の脇手を持ち、1本の脇手で25の世界を救うから、「40本×25=1000手」という説明を読んで、「そうだったのか!」と納得した。

あと、以前に人体の描き方の本を読んで、頭部から股下:股下から足裏の比率が1:1になることを学んだ。その見方をすると、仏像の一部はこの比率よりも足が短い。でも足元の土台(踏みつけている天の邪鬼など)まで含めると、1:1の比率になっているのだなと見ていて思った。

今回いちばん迫力があったのは、方広寺の「文殊菩薩坐像」(南北朝時代)。大きさは小ぶりだが、飛び抜けた存在感があった。『ニューヨーク美術案内』の彫刻の章を思い出した。まとっている空気が格別な気がした。

「見る者が彫刻の周りにどれだけ深々とした空間を感ずることができるか」これに尽きます。作品が支配する空気の層が分厚ければ分厚いほど、その作品はよくできている。/要するに魚の骨なのです。周りにどれだけ豊かな肉を感じることができるか、これが彫刻の生命です。細部がどうとか、ほとんどどうでもいいことです。このたっぷりした空気の層こそ見るべきものです。(千住博・野地秩嘉『ニューヨーク美術案内』)

(2021年4月23日@浜松市美術館)

ニューヨーク美術案内 (光文社新書)

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