「藤津亮太のアニメ文章道場」応募原稿(『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』レビュー)

今年2月、藤津亮太さんによるアニメレビューの書き方指南の記事が「アニメ!アニメ!」に載り、連動企画として読者参加型の「藤津亮太のアニメ文章道場」が告知されました。

せっかくの機会なので、僕も1本書いて応募してみました。

応募規定は次の通り。

文字数:800~2500文字
対象作品:下記10作品の中から選んでください。
応募内容:作品論や作家論、作品を横断的に語るなど書き方は自由。ただし、なるべく自分なりの切り口や感動ポイントを軸に書いてください。なお常体・敬体どちらでもOKです。

対象作品

・『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(1988)
・『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録』(1997)
・『千と千尋の神隠し』(2001)
・『サマーウォーズ』(2009)
・『劇場版 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(2012)
・『かぐや姫の物語』(2013)
・『君の名は。』(2016)
・『夜明け告げるルーのうた』(2017)
・『リズと青い鳥』(2018)
・『プロメア』(2019)

僕は『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』のレビューに挑戦しました。

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以下は、僕の応募原稿と、藤津さんに頂いた寸評です。

『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』レビュー(三浦大輔/bono1978)

「『逆襲のシャア』の面白いところは、父親につばを吐いたり、ギュネイにストローを吐いていたクェスが、α・アジールの口からメガ粒子を吐きまくるに至って、ついにアムロに致命的一撃を食らい、チェーンの二撃目がその損傷部を直撃して死んでしまうところだよ!」「親父にもぶたれたことないタイプのヒロインが、二度もぶたれて……!?」という話をするつもりでしたが、規定の文字数に達しなかったので、今回は別のお話をします。
2019年に40周年を迎えた『機動戦士ガンダム』。『逆襲のシャア』(1988年)は、そのシリーズ初期を締めくくる劇場作品で、初代の主人公・アムロの成長した姿と宿敵・シャアとの最終決戦が描かれます。
本作には多彩な魅力がありますが、個人的に好きなポイントは、作品の軸にある「核の冬」理論によって、現実とガンダム世界との距離が近く感じられるところです。

「核の冬」は、1980年代に現実の脅威として学者に議論された概念で、核戦争によって大量のチリや煙が成層圏近くまで吹き上げられると、長期間に渡って太陽の光をさえぎり、地表の寒冷化が起きて動植物を絶滅させうるという理論です。シャアは地球の住民に愛想を尽かし、この「核の冬」を起こす作戦に着手します。
シャアの参謀ナナイは、この作戦について「アクシズを地球にぶつけるだけで、地球は核の冬と同じ規模の被害を受けます。それはどんな独裁者でもやったことがない悪行ですよ」とガンダム世界内での歴史的位置づけを口にします。
初代の『機動戦士ガンダム』には、スペースコロニーを地球にぶつけるショッキングな描写がありましたが、あの時には「核の冬」は起きませんでした。1983年に発表された「核の冬」の概念は、1979年放映の初代『ガンダム』の世界にはまだ存在しませんでした。

富野由悠季監督は、『ガンダム』をはじめ数々のロボットアニメで残酷な戦争を描き、大量殺戮や人類滅亡のビジョンを示しました。しかしながら、それらは「コロニー落とし」「イデの発動」「バイク戦艦」といった未来の超兵器や神秘的なエネルギーによるもので、「核の冬」ほどの生々しい人類絶滅級の脅威が描れた作品は『逆襲のシャア』が唯一ではないでしょうか。
だからこそ本作で描かれる戦いは、他の富野作品とは一味違う凄みがある!
「核の冬」の危機を巡るアムロとシャアの攻防は、シリーズ初期のクライマックスに相応しい緊張感に包まれ、熱い盛り上がりを見せます。
また、ここでひとつ想像したいことは、もしも『逆襲のシャア』の成立のタイミングが「核の冬」理論の誕生前だったり、逆にその概念が時代遅れになった頃だったら、この迫力ある最終決戦の描かれ方は、まるで違っていたのではないかということ。そう考えると、「初期シリーズのクライマックス」と「当時の生々しい脅威」が渾然一体となって発生している『逆襲のシャア』ならではの肌触りを、いっそう大切に感じることができると思います。

藤津亮太さんの寸評

核の冬にフォーカスしていることや、冒頭で『逆襲のシャア』のドラマについて語り切ってしまっている点など、読み手を選ぶファンの語りとしては本当に面白い。ネタの勝利です。
強いて言えば「だからこそ本作で描かれる戦いは、他の富野作品とは一味違う凄みがある!」の箇所などはやや強引に感じました。
たとえば、アクシズ落としの生々しい脅威を表現するために冒頭に一度5thルナをラサに落としてその被害を見せることで緊張を高めているという構成になっているので、そういった点を補足することでよりレビュー的な文章にすることができます。
また、公開当時はリアリティのあった核の冬理論を取り扱った本作の現在における意義について最後のパラグラフで触れることで、今の読者にとってより読む価値のある文章になるでしょう。
その場合、結論そのものは「今や時代遅れで懐かしく感じられる」でも「今でこそのリアリティがある」でもどちらでも構いません。

『白身魚イラスト展』感想

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 アニメーターの堀口悠紀子氏(別名・白身魚氏)による自選イラスト集『真昼の月』出版記念の原画展を見てきた。
 展示の最初に、イラスト集の成り立ちを解説するパネルがあった。それによると、去年の春の「とある出来事」がきっかけで、堀口氏が編集者に画集の出版を提案したという。「なんだろう?」と思って後で調べたら、『コミック百合姫』の表紙の仕事がきっかけだったようなことがTwitterに書かれていた。手応えを感じたのかな。

 さて、今回展示された原画は、イラスト集の収録作品だ。だから、原画とイラスト集(印刷物)がどう違うのかが気になった。その観点で眺めると、例えば、原画では修正液で消した跡が薄っすら分かるのだけど、印刷物では分からない(補正している?)。あと、印刷物では一枚絵に見えても、原画の段階では実は複数の紙に分けて描かれている作品もあった(背景と人物を別紙に分けたり、コマごとに分けたり)。

 で、最大かつ重要な違いは、原画では画材の使い分けによって物質的な立体感が生じているのだけど、印刷物では(再現力の限界で)それが失われていることだ。会場で読んだ解説によると、輪郭線は呉竹のマンガ用黒インク、彩色はドクターマーチンのカラーインクらしい。それらは原画の紙の上では、はっきりと別々のマテリアルとして自己主張しあっていた。だから、印刷物で見たときの印象以上に、絵に抑揚がある。だけど、例えば建築物の写真集を見て「実物の持つ立体感が損なわれている!」「実際よりのっぺりしている!」と文句を言っても仕方ないのと同じで、印刷物では再現できない領域なので、イラスト集を見て魅力を感じた人は、原画展ではそれ以上に良いものが見られると考えていい。

 輪郭線と彩色に関しては、物質的な違いに加えて、絵の中で果たしている役割の違いもあるように感じた。線は一瞬を切り取った静止状態の輪郭を描いたものだけど、色は「一瞬」とか「静止状態」というよりは「ユラユラと時間がたゆたっているような感じ」がする塗り方。「このパーツはこの色」という塗り方ではなく、色が複雑に溶け合っていて、印象がひとつに固定されないので、ゆらぎが感じられる。この「静止状態の線」と「ゆらぎのある色」という正反対の個性が、別々のマテリアルによって、混ざり合わない状態で絵の中に共存していた。失敗できないアナログの絵の紙の上で、両雄並び立っている様子が、とても緊張感があって良かった。

 あと、原画を見て分かったのだけど、特に、針のように細い描線の持つ情報量が、印刷物の解像感ではうまく再現されていないのも印象的だった。極細の線でも、それを裏付ける情報がギュッと詰まっていて、原画では凄まじく存在感がある。例えば、駅のホームの椅子の金具、同じくホームの床にある黄色の線上ブロック、ランドセルの縫い目、そういう細部の線だったり、コンクリート面の質感表現の点線にも魅力があり、惹き込まれた。現実の世界はどこまで拡大していっても情報が尽きないが、イラストの世界では普通はそうはいかない。ところが、今回の展示作品では、1本の細い線の中にどこまで拡大していっても情報がある感じがして、じっと見ているうちに絵の中に吸い込まれていくような気持ちになった。

 今回見た原画の中では、駅のホームに座っている女の子のロングショットの絵(『コミック百合姫』2019年12月号表紙)と、オリジナルのお正月の絵が特に気に入った。

 画材の立体感を感じること。点や線の本来の情報量を楽しみ、吸い込まれそうな気持ちになること。そういった印刷物では味わえない体験があったので、会場まで見に行ってよかった。今の時期はコロナを気にしてイベントへの遠出を自粛した人も多いと思うけど、いつか機会があれば是非これは見てほしいです。

(2020年8月17日@松坂屋 名古屋店)

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—白身魚 自選イラスト集— 真昼の月

—白身魚 自選イラスト集— 真昼の月

  • 作者:白身魚
  • 発売日: 2020/08/07
  • メディア: 単行本
 

Zoom飲み会

 新しいもの好きなので、話題の「Zoom」を使ってみたくて、飲み会を開催した。参加者7人。
 自分も含め、今回初めてインストールした人ばかりだったけど、意外とトラブル無く接続できた。外出規制・外出自粛の状況下で脚光を浴びているソフトウェアだと思うけど、とても使い易く、ユーザーが急増しているのも納得。
 事前に「司会が居たほうが良い」等のノウハウは読んでいたので、「(1)聞きたいことを一人が質問する」「(2)全員が順番に答える」を繰り返す形式にした。この方法は上手く機能したと思う。
 また、実際に使ってみて、確かに司会は居たほうが良いと思った。なぜなら、司会が居ないと「聞かれれば答えるけれども、積極的には発言しないスタンスの人」の話を聞く機会が減ってしまうから。

 

 僕の質問は「最近はまっていること」で、参加者の回答は、『呪われた島 オーク・アイランドと財宝の謎』、iOS版『FINAL FANTASY VII』『#なぴかわ PRIVATE GUIDEBOOK』、韓国旅行、朝ドラ、『蜜蜂と遠雷』、りんご酢ドリンク、『球詠』、国会図書館に通って昔の『ファミコン通信』『ログイン』を読む、でした。意外なことが聞けたりして面白かったです。

 「Zoom飲み会」のメリットは、遠隔地に居る人同士でも気軽に集まれることと、居酒屋のような高額な費用が掛からないことだと思った。逆にデメリットは、終了するタイミングが難しいこと。オフラインの集まりだったら、「終電」とか「会場の閉店時間」が終了する理由になる訳だけど、それが無いと必要以上に長時間に及んでしまうかもしれない。

(2020年4月26日)

『《别对映像研出手》第一集解析』の翻訳(『「映像研には手を出すな!」第1話解析』)

前置き

前回訳した『作豚の自己修養』(2015年の文章)で、入門者向け教育をすると宣言した「nbht」さんが、5年経った現在どんな活動を続けているか、それが分かる動画を翻訳してみました。
字幕1行ずつ改行しているので、動画を参照しながら読んでみて下さい。

(※概要は把握できますが、完璧な翻訳ではありませんので、ご注意下さい。機械翻訳をベースに、中国語ビギナーなりに辞書で補ったりの努力はしました。)

本文

(出典:《别对映像研出手》第一集解析 https://www.bilibili.com/video/av82459165/

皆さんこんにちは、nbhtです。
『映像研には手を出すな!』第1話が放映された後、
大量のメッセージをもらったので、このアニメを解説します。
弾幕の中には、「Anitama快楽番」(※「肥宅快乐水」のもじりで、nbhtさんが観たら楽しくなる番組の意味)と言うものまであります。
ならば私は当然譲れません。

まず『映像研』第1話では、繰り返しアニメの一部分が登場しました。
一回目は、はじめに主人公の浅草がパソコンで観ました。
二回目は、アニメ研究会の特別上映会で上映されました。
劇中のタイトルは「残され島のコナン」。
原型は1978年のアニメ『未来少年コナン』です。
このコナンと某名探偵は何の関係もありません。
『未来少年コナン』は、名探偵より20年近く前に生まれました。

『映像研』本編の『未来少年コナン』は、単なるネタではありません。
劇中に出てくる『未来少年コナン』の画面は本当で、
1978年『未来少年コナン』本編の画面です。
このアニメは主人公の浅草を非常に感動させ、
彼女の人生の目標に直接影響を与えました。
あの『未来少年コナン』は、一体どこが凄い?
私は信じています、この監督の名前を明かした後、
みなさんは何の疑問も持たないでしょう。
彼は世界的に有名な日本のアニメ監督、宮崎駿。
『未来少年コナン』は宮崎駿の初監督アニメです。

大衆は宮崎駿に関して、往々にして普遍的な思い違いがあります。
彼らは宮崎駿が『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』の後に有名になったと思っている。
その前は黙々とした、無名のアニメスタッフ。
それは実は大変な間違いです。
宮崎駿は彼の後期のインパクトが、前期のインパクトを覆い隠している。
宮崎駿が70年代に手がけた作品は、アニメのコアな愛好家の心中で地位が非常に非常に高い。
庵野秀明は、あの頃宮崎駿の熱狂的ファンでした。
1970年代を知るべきです。
ほとんどのTVアニメは、本当に動く漫画の効果だけに停留していました。
しかし、宮崎駿と彼のパートナー高畑勲など少数の人が参加したアニメでは、すでに実際の人体の動作と現実の物理法則を考慮した。
かつ宮崎駿には超人的なレイアウトの天賦がある。
あれが50年近くも前のことと知る必要がある。
まだTVアニメは生後十数年。
ほとんどのTVアニメはパースにこだわらず、背景と人物を組み合わせて完成させていた。
しかし、宮崎駿のレイアウトは、すでに大量の複雑な景色の遠近関係を処理することができました。
また、宮崎駿のレイアウトは、あの頃にそれを見て、後に見習って成功したたくさんのTVアニメを生んだ。

例えば、あなたが『喜羊羊(与灰太狼)』(※中国のアニメ)を観ている時、突然あなたの前に『新世紀エヴァンゲリオン』の一部分が現れた。
もしあなたが本当にアニメ好きなら、きっとその印象はとても衝撃的でしょう。
だから主役の浅草も絶えることなく滔々と語ることができる。
あの時代は確かに衝撃そのもの。
『映像研』第1話後半のトンボの形をした飛行機はさらに隠さず、
ダイレクトに宮崎駿の『天空の城ラピュタ』に敬意を表している。

あと、第一話の最後に水崎が「観に行きたい」と言った、
井上さん、大平さん、磯さんが作画に参加したアニメ。
この三人は井上俊之、大平晋也、磯光雄を指す。
井上俊之は日本でいちばん作画を熟知している人で、
彼の凄いところは、多種多様な作画スタイルを模倣できる点にある、
作画界の博士。
大平晋也はアニメ版『マトリックス』の作画シーンで有名。
彼の作画は全部線が震えて感じられる。
しかし、表現は真実から逸脱しない。
真実の延長線上にあり、超現実主義とも言える。
磯光雄はアニメ界の超級発明家。
作画の表現法をたくさん生み出しました。
私達は彼の作画MADを作ったことがあります。
それと、磯光雄は『電脳コイル』を監督しました。
作画の可能性を知らないと、私の説明が何を意味するか理解できないが、
とにかく、日本アニメのアニメーターの歴史的ランキングに名を連ね、
この三人はきっとベストテンにいます。
残念ですが、皆さんに教えます。
劇中に水崎が言っていた、この3人が同時に参加しているTVの話数は現実には存在しないはず。

最後に、実際の主役3人はそれぞれアニメ制作の中心的なポジションを代表しています。
主人公の浅草みどりは、背景や小道具設定に及ぶ企画アイデア、イメージボードのデザインを代表。
水崎ツバメはアニメーターとキャラクターのデザイン。
且つ彼女の家にはお金があり出資者を兼ねられる。
金森はプロデューサー、財務工期管理を担当。
このようにアニメの中心ポジションが全部揃いました。

私は『映像研には手を出すな!』の実写映画版にとても期待しています。
アニメ版は原作スタイルのキャラクターデザインなので、少女は美少女ではありません。
でも、実写映画版のメインキャラはみんな人気アイドル。
私達は齋藤飛鳥が演じる、美少女作ぶt(ピー音)を見ることができました。
今回の動画はここまでです。
『映像研には手を出すな!』の細部は話せることがたくさんあります。
後の話数で機会があれば詳しく話します。
最後にこのビデオが好きならフォローして下さい。
みなさん応援ありがとう。

(出典:《别对映像研出手》第一集解析 https://www.bilibili.com/video/av82459165/

『作豚的自我修养』の翻訳(『作豚の自己修養』)

前置き

5年前の文章ではありますが、当時の中国のアニメ作画ファンの世界や、初心者教育に関する問題意識が少し分かって、興味深く感じたので訳してみました。著者の「nbht」さんが「知乎」に投稿した文章です。当時は分かりませんが、現在は上海のアニメニュース媒体で働いている方です。

(※概要は把握できますが、完璧な翻訳ではありませんので、ご注意下さい。機械翻訳をベースに、中国語ビギナーなりに辞書で補ったりの努力はしました。)

なお、原文に「作豚(作豚)」「作画オタク(作画宅)」「作画ファン(作画迷)」という呼称の使い分けがあり、翻訳でも同様にしています。

本文

作豚的自我修养(2015-04-10)(https://zhuanlan.zhihu.com/p/19930739

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无用的前言:提到作画的人越来越多,也看见过人说现在大大遍地都是,贴吧随便搜搜就能看到类似科普贴的东西,不过很多都是半桶水乱晃,看着很糟心。我本质也不是什么和蔼可亲的人,当着面不好说,怕打击人,背地里可能早开骂了。
前几天就有人找我(寻仇)了,不过后来聊了很多,也是这篇文章的起因。也有人跟我说不知道如何入门,还抱怨高手不教新手,所以还是总结一下比较好,让想入门的人少走些弯路。另外这只是我个人总结,绝不代表作豚界。

無用な序文
 作画に言及する人がますます増え、「今ではどこにでもいる」と言う人もよく目にします。だから「贴吧」(※コミュニケーションプラットフォームTieba)をちょっとランダムに探すと、啓蒙スレッドに似たものが見つかります。しかし、多くはみな半可通を振り回しており、実際に目にすると、とても心配です。
 私は本質的に柔和な人間ではありません。面と向かって話すのが苦手で、人を攻撃するのを恐れ、影で悪口を言ったかもしれません。
 数日前、ある人が(リベンジのために)私のところに来ましたが、後で私は多くの雑談をしました。それもこの記事の原因です。また、私に「どのように入門するか分からない」と言う人もあり、加えて「達人が入門者に教えない」と文句を言います。だからやはり、一度要約するのがベターでしょう。入門希望者たちが遠回りするのを減らしましょう。それから、これはただの私個人の要約です。決して作豚界を代表するものではありません。

1,作画到底要怎么看?一般作画宅作画迷口中的作画(sakuga)就是动的方面,把一张张画串起来做成动感就是作画最有趣的地方。其实大多数人也只有看得爽这个概念了。当然只求看得爽没什么错。但是研究为什么看得爽是有门道的,研究这个门道就是作画迷们干的事。当然layout、作画监督也是作画的范畴之内,另外研究画面的话肯定会涉及摄影,包括演出在研究过程中肯定会不可避免地慢慢涉及。(未完)

1.結局のところ、作画をどのように見るべき?
 通常、作画オタク・作画ファンが口にする「作画」はまさに動きの側面です。1枚1枚の画が1つに繋がり、完全に成功した躍動感は、まさに作画の一番面白い部分です。
 実際のところ、大多数の人もこの概念を気持ちよく観るだけです。もちろん、気持ちよく観ることだけを求めても何も悪くありません。しかし、「なぜ気持ちよく見えるか?」を研究するにはコツがいる。このコツを研究するのが、まさに作画ファンのすることです。
 もちろんレイアウトや作画監督も作画の範疇で、加えて、画面研究の話は確実に撮影にも及ぶはず。演出も含めて、研究の過程で確実に不可避的に徐々に関係してきます。(未完(※原文ママ))

2,关于认人。相当一部分人都是看见别的人能认人觉得好时髦,于是开始关注作画的。能看出动画中哪些部分是哪个原画师负责的作画眼很多人都想练啊,甚至很多人追作画一开始的目的就是为了认人。认人这是就像鉴宝,很多时候得综合来看的,虽然有人总结什么中村方块、田中发、山下清悟的崩坏等等什么的,但是我可以很放心的告诉大家,这是糊弄新手的,很大程度会失效和错误,你还在认特征的时候高手已经从其他方面看出来了,入手的方面真心无数多,光看单个特征你根本无法跟上高手思路,有些高手认手的画法,有些认皱的画法,有些从张数、轨道、踩点、惯性重心处理来判断,而我偏向头发动态的画法,这都是各个人的自由。问题是很多人但终究认人只是一个途径不是目的,没有高手专门教认人的。(未完)

2.パートの推測について
 ごく一部の人達は、パートの推測ができる人を見て「格好いい!」と感じた結果、作画に関心を持ち始めました。アニメの中で、どの部分の作画をどの原画マンが担当しているのか知覚できる作画眼は、多くの人が鍛えたいとを考えます。大勢の人が作画を追いかける初めの目的は、まさにパートの推測です。
 パートの推測はまるで、お宝の鑑定番組のようであり、多くのケースで総合的に見る必要があります。中村(※豊)キューブ、田中(※宏紀)ヘアー、山下清悟の崩壊等々を何かまとめている人がいます。
 しかし、私は自信を持って皆さんに言うことができますが、これらは初心者騙しで、とても重大な失敗と間違いがあります。あなたが特徴を認識した時、達人は既に別の側面から見抜いています。着手する側面は本当に無数にあり、たった1つの特徴だけ見ても、達人の考え方には根本的に追いつけません。
 一部の達人は手の描き方を見分け、シワの描き方を見分けます。また一部の人は、枚数、軌道、タイミング、慣性や重心の処理に基づいて判断します。そして私の場合は頭髪の動きの描き方に偏っている。みな各個人の自由です。問題は、パートの推測が多くの人にとってしょせんただの手段であって、目的ではないことです。パートの推測方法をわざわざ教える達人はいません。(未完(※原文ママ))

3,作豚本身的水平问题。“初级作豚认人;中级作豚不屑认人;高级作豚让初级作豚认自己。”虽然有玩笑成分,但是很对,上面说了很多人都是以认人为目的在看作画的,(发展出2ch的作豚很多只看人名不看正片,看片尾出现了大手名字就在那边嗨,至于他们负责了哪个部分,他们不知道。不过这种人中国基本没有。),但是在认人这个过程中会慢慢理解作画的本质,因为很多情况并没有傻乎乎可以看出来的特征,原画师的个性表现在他个人的造型、抓轨道、踩点、张数利用这些实质性的特征上,但是这些对于新手绝对是无法理解的,明明是两套完全不一样的动作,高手就是能看出这是一个人做出来的。而对作画本质开始理解了之后,到了一定地步就可以知道原画师本身的长处劣处,说出这段原画的问题所在,甚至能给原画师指路了,到了这种水平再去认人就是杀鸡用牛刀了。(其实还有另外一方面,再厉害的人认人也会错,因为实际原画师作画时影响因素很多,作监的修正、演出的指示、动作作监的指导,或者原画本人突发奇想换了种新玩法,再厉害的人也会吃瘪。但是好看这种性质不会因为原画师是谁而变化。)有了那么大能力,不去做原画可能可惜啊,于是高级作豚自己作画,让初级来认。(未完)

3.作豚自身のレベル問題
 「初級作豚はパートの推測をする。中級作豚はパートの推測を軽蔑する。高級作豚は初級作豚に自分のパートを推測させる」。これは冗談の要素を含みますが、とても正しい。
 多くの人は、推測が目的で作画を見たと前述しました。(2ちゃんねるで発展した作豚は、人名だけ見てアニメ本編を観ない人が大勢います。エンドクレジットを見てビッグネームが出現したら、「おっきてる!」。その人達がどの部分を担当したか、彼らは分かりませんが、このような人は中国には基本いません。)
 しかし、パートの推測の過程では、ゆっくりと作画の本質を理解できます。多くの状況で、現れる特徴は間抜けには見抜けないので、原画マンの個性的な表現は、個人的な造形、軌道、タイミング、枚数の利用にいくらか実質的な特徴があります。しかし、これらのいくらかについて、新参者には絶対に理解する方法がない。ワンセットが明らかに完全に異なる動作でも、達人はまさにこれが同一人物が作り上げたものだと見抜けます。
 そして、作画の本質を理解し始めた後、ある程度になると、原画マン自身の長所・短所が分かります。あなたはこの原画の問題点を論じ、究極的には原画マンに道を教えることすらできる。このレベルになると、パートの推測はまさに「鶏を殺すのに、どうして牛刀を用いる必要があろうか?」です。
(実はもう一つの側面があります。どんなに凄い人でもパートの推測を間違えます。実際の原画マンは作画時の影響要因がたくさんあるので、作監修正、演出の指示、アクション監修の指導、あるいは原画マン本人が突発的に奇想天外に新しいスタイルに変えたら、どんなに凄い人でも(※推測できずに)へこまされます。しかし、美しいというような性質は原画マンが誰なのかによって変化しません。)
 それほど大きな能力があるのに、原画を描かないのは惜しいかもしれません。そこで、高級作豚は(※アニメーターになり)自分で作画して、初級に推測させます。(未完(※原文ママ))

续1,很多人判断好作画都是根据直觉,但是直觉有极限。打个比方,大家很多人喜欢评片,某某片不如某某片,某监督不如某监督,这分镜真好那分镜真烂,说实话我觉得大多数人并不能拿出依据说为什么这个比那个好,顶多举些投票啊、销量啊、获奖啊、群里的人都说、xx厨都说啊之类的,最低端的就是说感觉了,感觉某某打斗很生硬,生硬在哪里说不上来,bgm插入得生硬,哪怎么插合适说不上来。这就是所谓直觉的极限了,很多东西没有技术就无法量化。(但也不是说看个片非要去研究为什么,如果你只是图开心那也没问题,我也不会上去打你脸,但是要讨论好坏,我希望大家能有些技术含量点,不要老是感觉感觉、节奏节奏、别人说。这话说了很多次了,但是还是得强调,省得别人又黑我不好好看片)。作豚大多数都是观众,真作画的还是很少,作为观众大家都想做有品味有审美有水平的观众,请把提高自己的做完观众的水平做为第一要务,东京暗鸦op1真炫酷,想想怎么切镜头酷;某集的作监衣皱修正很漂亮,想想怎么画皱人物立体感整体性最强;某集的镜头好,想想怎么通过lo达到演出意图;真中高级作豚脑子里想的都是这些东西(我水平比较低,喜欢关注作画监督,最关注那些人妹子画的好看),而不是人名,不屑认人也是如此,能发现厉害的新年轻原画的也肯定是他们。

続き1.
 大勢の人が、みな直感を根拠に作画の良さを判断します。しかし、直感には限界がある。例えば、大勢の人がアニメを評論したがります。「某アニメは某アニメに及ばない」「某監督は某監督に及ばない」「この絵コンテは実によく、あの絵コンテは実にでたらめだ」。本音を言うと、なぜこれがあれより良いか、多くの人は決して根拠を示せないと思います。
 「おすすめの票がいちばん多いからっ!」「販売数っ!」「受賞っ!」群れの中の人はみな言います。XX厨はみな「っ!」の類いのことを言い、最低の理由をまさに感覚で言う。
 「某格闘シーンがぎこちない」という感覚は、どこがぎこちないか上手く説明できません。「BGMの挿入がぎこちない」、どのように挿れるのが適切か上手く説明できません。これはまさに、いわゆる直感の限界です。多くのものは、技術無しには計量化できません。(しかし、アニメを観て、どうしても何か研究すべきとも言いません。もしも、ただ楽しみたいだけでも問題ない。私もあなたの顔を殴りには行けないが、善し悪しの議論はしたいです。私はみんないくらか技術の蓄積があることを望みます。しょっちょう「感覚感覚」「リズムリズム」と言うべきでない。この話は何度も話しましたが、やはり強調します。また誰かに「ちゃんとアニメを観てない」とかディスられないように。)
 大多数の作豚はみな観客で、真に作画的な人はやはり少ないです。観客として、品格があり審美眼がありレベルの高い観客に皆なりたい。どうか、自分の観客レベル向上を第一の重要な仕事として成し遂げてください。
 『東京レイヴンズ』OP1は本当にスタイリッシュでクール。どのようにカットを割ればクールか、ちょっと考えてみます。某話数の作監の服のしわの修正は、とても美しい。どのようにしわを描けば人物の立体感の整合性が最強か、ちょっと考えてみます。某話数のカットは良い。どうやってレイアウトを通せば演出意図を達成できるか、ちょっと考えてみます。
 真の中高級作豚の頭脳の中で考えていることはみな、これらのもので、(私のレベルは比較的低いので、好んで作画監督に注目し、それらの人の美少女の絵に最注目しています。)人名ではなく、かくしてパートの推測を軽蔑する。新進の若く凄い原画も確かに彼らだと気づけます。

续2,关于作画的资料是非常非常稀缺,不知道是巧合还是为什么,国内中高级作画迷都会日语,起码看得懂,所以日语这技能先还是点着吧。关于作画,基本个个都是自学成才,没有人带没有人教,所以也别指望有大大会手把手带你怎么认,毕竟认人这事太low,没啥意思,不如你本身提高自己品味多去想想。想这事也是很多人的问题,大平晋也非常好认,但是去想大平晋也为什么那么好认的人很少。《绝对双刃》的op,江畑谅真一人原画(江畑还单刷了《天体的秩序》的ed和《向山进发第二季》17集,那风骚的走位和摇摆很多人影响深刻),他的原画乍一看似乎很真实,一些外行人就觉得他是真实系原画,没有去想为什么真实,其实是利用重心和造型制造出来真实的错觉,动作不是普通的惯性结束而是强行把重心摇过去甚至压得很低,然后荡秋千式重复摆,这种动作真人是做不出来的,像op里第二卡那样男主捂着胸口大摇大摆走肯定得摔(重心甩得太远了,一般人肯定惯性摔出去了),以假显真,作画很有趣吧(其实很多老害级真实系原画也是以假显真的)。但是能思考到这种层次的国内真也没几个人了,所以这种自己的思考是很重要的。如果思考到这层次了不认出江畑的原画都难啊。思考和发现又是一个循环,通过思考知道什么是厉害的,知道什么是厉害又能知道那些不显眼的厉害。因此西方作画迷对演技的理解至今仍是一泡污,年轻演技系的作画mad全是日本作豚做的。

続き2.
 作画に関する資料は非常に非常に希少で、偶然かどうかは分かりませんが、国内の中高級作画ファンは、みな日本語ができます。少なくとも見れば分かる。だからやはり、ひとまず日本語の技能を身に付けましょう。作画については、基本的にみな独学で有用な人物になります。手本を示す人も、教える人もいません。
 だから、見分ける方法を手取り足取りで、手本を示されることを期待してはいけない。パートの推測はあまりにもlow(質が悪く)、なんの意味もなく、あなた自身の品格向上をちょっと考えてみることには及ばない。
 これも多くの人の問題だと思います。大平晋也がどのパートを担当されたのかは凄く分かりやすいが、その分かりやすさの理由について深く考えている人があまりいない。
 『アブソリュート・デュオ』のOP、江畑諒真の一人原画(江畑は『天体のメソッド』EDと『ヤマノススメ・セカンドシーズン』第17話を一人で手掛けました。あの気の利いた歩き方と揺れ動きが多くの人に深く影響しました。)彼の原画は一見リアルに見えます。一部の素人は、彼がリアル系原画だと思っています。
 なぜリアルではないと考えるのか? 実は重心と造形を利用してリアルな錯覚を作り上げています。動作は通常の慣性のフィニッシュではなく、強引に重心を揺り返し、とても低く押さえつける。その後、ブランコ式に繰り返し揺り動かす。このような動きは、現実の人間には演じることができません。
 例えば、OP中の2つ目のカットのように、男主人公がみぞおちを押さえて、あのように大手を振って前進すれば間違いなく転倒します。(振れる重心があまりにも遠く、普通の人は間違いなく慣性で転倒する。)
 偽りを以て本質を示しています。作画はとても面白いでしょう?(実際、多くの熟練クラスのリアル系原画も偽りを以て本質を示しています)。
 しかし、このようなレベルで思考できる国内の本物はほとんど個人です。だから、この種の自身の思考はとても重要です。もしも思考がこのレベルに至れば、江畑の原画を見分けるのは難しくない。
 思考と気付きは1つの循環で、何が凄いかを考えることによって、それらの際立った凄さの何が凄いかを知ることができます。そのため、西洋の作画ファンは演技に対する理解が未だにふわふわしています。若い演技系の作画MADは、全部日本の作豚が作りました。

续3,现在国内作豚两级分化得厉害,中高级就那么一小撮,除去业内也有五六个人,还有一大批连初级都算不上认不了几个人的,中间爱好认人的普通初级作豚基本没有,这是现在最大的问题,中高级的又没一个正常人,不喜欢交流,每个人的技能树点得乱七八糟,你根本不知道他们怎么想的,明明有最大的资本做键盘评论家(装逼)却没有一个人这样做,还装动画看得少、不看动画了、看不起动画,问题是还有不少人还真信了,还真以为作画迷动画看得少(我说我没看的情况,可能是我看了那集不知道谁负责了哪个部分,不好意思说了)。讲真,没有长期关注和大量阅片是不可能修成作画眼了,认人能力肯定不是胎教学会的。不过每个人想干什么都是自己的自由。

続き3.
 現在、国内作豚の二極化が凄いです。中高級は、ほんの一つまみしかいません。業界内を除いて5〜6人。ほとんど見分けられない初級は数えると大勢います。中間の、趣味でパートの推測をする普通の初級作豚は基本いません。これは現在最大の問題です。
 中高級は、正常な人が一人もいません。交流を好まない。一人一人のスキルツリーの点の取り方がめちゃくちゃです。彼らがどう思っているか、あなたはまったく知りません。
 明らかに最大の資本を持っているのに、キーボード評論家のふりをする(無理に装って)、このようなふりをする人は一人もいません。「アニメを少ししか観ない」「アニメを観ていない」「アニメを観ることができない」とまだ装っていますが、問題は、少なくない人が本当だと信じていることです。本当に「作画ファンはアニメを少ししか観ない」と誤解されています。((※別の場所で)私は様子を見ないと言いました。私が観たあの話数で、誰の担当したどのパートか分からなかったのかもしれない。恥ずべきことを言いました。)
 実を言うと、長期的な関心と大量のアニメ鑑賞無くして作画眼の修得はできません。パートの推測能力は、胎教のように身につくものではない。ただし、各個人が何をしたいかは、みな各自の自由にすぎません。

4.(省略)

5.(省略)

6,现在问题还是两级分化问题怎么解决吧。我是打算干low一点的事,教你们怎么认人,做mad目的也在此,在未来通过这个把作画里面一些难理解的东西说清楚。有人肯定会问为什么前面没高手教,偏偏我这个中低作豚来教,因为这本身就是脏活累活,主流原动画教材根本不教什么轨道踩点的,全靠背运动规律,我说的全是靠作豚意淫出来的,根本没啥教材课本,最典型的什么时间感、时间轴系和演算系就只是在作豚间讨论的。所以说了大多数就是没依据的空讲,碰巧说对了是我运气好,哪天被业内打脸了也活该。认人就更不靠谱了,哪个原画师愿意被别人两三句话概括的啊。

总之一句话,以看到好的作画为乐趣,以提升品味为最终目标,多思考多实践少显摆,认人仅作为辅助获得优越感的方式,不为目的。

 6.現在の問題は、やはり二極化問題をどう解決するかでしょう。私はlow(質の悪い人)を冷遇するつもりです。どのようにパートの推測をするか、あなた達に教えます。MADを作る目的もここにあります。将来、作画の内面にある少し理解が難しいことを、はっきり言います。
 「なぜ前に達人の教えが無いのか?」そういう人の疑問も肯定できる。それ自体は誰もやらないつらい仕事なので、私が中低作豚を教えに来ました。主流の原動画教材は「轨道踩点」が何かまったく教えず、全て運動法則に背を向けています。私が言うことは全て、作豚に偏っています。根本的に、なんの教材テキストもありません。最も典型的なのは時間感覚が何かで、タイムライン系と演算系は、ただ作豚間だけでされる議論です。大多数は中身のない論を根拠にします。
 たまたま、私は運がいいと言いました。いつの日か業界人に顔を殴られるのも当然のことです。パートの推測は更に理にかなっておらず、どの原画マンが他人に二~三言で総括されたいと思うのですか?

 ワンフレーズで言い換えれば、観ることで良い作画に触れ楽しむこと、品格の向上を最終目標に、思考を多く、実践を多く、自慢を少なく。パートの推測は、ただ優越感の獲得を補うやり方で、目的にはなりません。

(出典:作豚的自我修养 2015-04-10 https://zhuanlan.zhihu.com/p/19930739